国分寺の地域通貨「ぶんじ」 ~ありがとうの気持ちを、通貨にのせて~



ぶんじミーティング(大) in カフェスロー(その1)
---『ぶんじの傾向と対策』(影山知明)


<font color="#666666"><small>2012年9月の「ぶんぶんウォーク」からはじまった 国分寺・地域通貨の【ぶんじ】。 この間、ひっそりと いや、ときに大胆に 試行錯誤を続けてまいりました。 そしてこの度 この半年間の活動報告をさせていただきつつ 今後の活動を共にしてくださる仲間を募るべく 満を持して、開催させていただきます。 <br /> <b>──【ぶんじミーティング(大)】</b> <br /> いや、大して進んでいないんですけれども(笑)<br /> ・地域通貨が、どういうわけか気になる<br /> ・さいきん、国分寺に愛着がわいてきた<br /> ・「ぶ」「ん」「じ」で短歌をつくりたい<br /> など、どんなご興味ででも、お気軽にどうぞ。 きっとそこから何か動き出すと思いますから。 <br />  日時: 2013年3月4日(月)19:30~21:30<br />  場所: Cafe Slow<br />  参加費: 100ぶんじ<br /> * 当日お渡ししますのでご心配なく。お仲間、連れて来ていただいちゃっても大体OK!  <br /> ▼プログラム(仮)<br />    19:30~ これまでの「ぶんじ」<br />    20:00~ これからの「ぶんじ」<br />    20:30~ ご一緒に<br />    21:15~ ネクストステップへ<br /> みなさまのお越し、お待ちしております!<br /> 地域通貨「ぶんじ」実行委員会 </small></font>3月4日ぶんじミーティング(大)と題した企画がカフェスローで行われた。こまでの活動報告や現状、そしてこれからのことが、それぞれの現場から語られた。
この日は他の用もあったため設営だけして、後半あたりで戻ってきたら、空席がないほど埋め尽くされてた。すごいね、「ぶんじ」。そんなわけで前半の内容を今、音声で聞いてるのだが、影山さんがいつになく熱く語っている。その空気感をテキストで伝えられるか自信がないが、精一杯まとめてみたいと思う。


ぶんじのあらまし

・2012年9月15日~17日「ぶんぶんウォーク」で初登場。
・紙幣式で単位100ぶんじ。
・3000枚制作、2000枚流通中。
・4カフェ(カフェスロー、キイニョン、おたカフェ、クルミド)のほか、ぶん馬車、11月カキマツリ、バードハウス、にしこく図書室で利用可、現在ML250名登録。


地域通貨は使い勝手が悪い?
1998年NHKスペシャル、「エンデの遺言」という番組を機に日本全国ではじまった取り組み。その後なんどかのブームが起こるものの、残念ながら続かないことが多い。その理由は使えるところが限定的なため。社会的な意味のある取り組みを応援することにつながるとはいえ、使い勝手の悪いお金であることは否めなかった。


ファンタジーが引き出され、育ち、かけ合わさっていくこと
こうした背景や反省をふまえて、「ぶんじ」として「なんのためにやるのか」を準備チームで話し合ってきた。国分寺にはオモシロイひとが多く、国分寺は「馬車!」「水でしょ!」「自然エネルギーだ!」「蓄音機だ!」「子育ての街だ!」など、いろいろな想いを込めて活動しているひとがいる。

「ぶんじ」はどういう活動や未来づくりを応援する通貨なのか、それを定めたほうがいいのでは? では、その活動のよしあしは誰が判断するのか? その一方で、特定の活動を応援した場合、その活動に興味がないひとを生んでしまわないだろうか? 通貨の使用目的は、国分寺をこういうまちにしていきたいと考えることそのものではないか? 

「ぶんじ」では、国分寺がこんなまちになったらいいな、ということに「ファンタジー」という言葉を使っている(※個人的にも好きな言葉で、ミヒャエル・エンデが大切に使っていた言葉とかけて)。個々のもつファンタジーが、それぞれの中からうまく引き出されて、育っていくということ、それがときには顕在化したり、しなかったりしながら、色々なファンタジーが掛け合わさっていくことが、「地域通貨の目指すべきひとつのカタチ」ということはできないだろうか。そういう話し合いをしてきた。


共通テーマは、「利他的」と「相互支援的」
<small>※レジュメはPDFからDLできます。</small>それでも共通するテーマがある。1つは利他的であるということ。自分のためになにかするというよりも、「まちがこんなふうになったらいいな」、という「利他性」をもった発案であることが多い。また、そのまちは「自分がいきる」場所であり、周囲、隣人、まちの持っている自然など「まわりをいかす」ことにもなり、いずれ「自分がいかしてもらえる」ことにつながる。それは「相互支援的」であり、カタカナでいうなら、Give&Takeの「Give」をする、「Gift」をする方向に対して動き出すエネルギーとして、こうした相互支援的な取り組み、ファンタジーがあるのではないだろうか。


ちょっと違う、「ぶんじ」の取り組み
今日は地域通貨の経験者も来て頂いてるし、地域通貨そのものが過去にうまくいっていない背景もあることから、「今、なんで、あらためてぶんじなの?」 そういう問いがあるかもしれません。ただ、「ぶんじ」の取り組みは、地域通貨の哲学を引き継ぎながら、ちょっと違うニュアンスのことをやろうとしている、とううことを知ってほしいと思います。


目的性の呪縛から開放
世の中を見渡していくと、多くの場面で目的性ってことへの呪縛にとらわれているような気がしている。例えば会社であれば、今期売上をいくら達成するとか。企業にかぎらず、NPOや市民活動においても、、、
これはある特定の理念や目的を達成しようとするあまり、周囲との関係も手段化してしまい、結果的にお互いを利用し合うような関係性がつくられてしまう。それが、いまの閉塞感、ある種の生きづらさを生んでる問題の根っこであるような気がしている。

そんな思いから、今回、ぶんじのテーマとしてあえて考えたいのは、人を目的性から開放すること。つまり、国分寺のまちづくりを考えたときに、5年後を描いて、そこにたどり着くためにこれからの時間をデザインしたり、これからの道のりを思い描くというわけではなく、それぞれが持っているファンタジーがうまく引き出されて、かけ合わさっていくものになっていけばいい。


「意味なんてないよ!」
どんな取り組みをするにしても、「それは一体どんな意味があるの?」って質問されることって多くないですかね。まちのちょっとしたボランタリーワークでも、イベントでも、なんでそんなことやってんの?って質問される。それに対して、「意味なんてないよ。」って答えるのでいいんじゃないかと思うんですよ。それが「好きなことだり、自分をいかし、周りをいかすことだと思っているからやってる」ってこと以上の説明が、果たして必要なんだろうか。


ぶんじプロジェクトの2つのルール
1つは、それぞれが持っているファンタジーを発揮するということ
1つは、お互いが相互支援的であるということ

いかし、いかされる関係であるということ。
これさえ満たされていれば、なんでもいいんじゃないか。

<small><b>関係原則が変わる</b></small>日常の中で。
「青いやじるし」が使えるシーン

Aさん、Bさん、Cさんの3人がいる。
Aさん、まちが元気になるためのファンタジーを提供。
Bさん、それを受けとって「ありがとう」
Cさん、それを見ていて「ナイスファンタジー!」の掛け声(笑)
※「それ、いいね」「それ、面白い」と取り組みに対して応援。

Cさん→Aさん、「なにか手伝おっか?」
Aさん→Cさん、「手伝ってくれて、ありがとう」

日本円を組み合わせて、「ぶんじ」もありがとうの気持ちとともに回っていく。
昨年行われたぶんぶんウォークでは、まさにこんなイメージだった。

最後にこれがちょっとミソだと思うんですけど、こういうやじるしも起こるんじゃないかと思うんですよね。

Aさん→Bさん、「ありがとう」っていってくれて「ありがとう」

Aさんはよかれとおもって、ファンタジーを提供したが、Bさんがありがとうって言ってくれたことも嬉しいわけで、こちらこそありがとうって気持ちで、地域通貨をお返しする、そんなことすら起こるかもしれない。


経済とかビジネスのありようすらも変えていく?
大事だと思っているのは、この流れが、既存のビジネス、日本円の流通と並行して行われてることだという気がしている。

自分も喫茶店を経営していて感じることは、お店のスタッフがお客さんに対して「ありがとう」といういうことは日常的にあっても、その逆はなかなかない。ただ、お店側のファンタジーの送り方によっては、なかには受け取ってくれるひともいて、「ありがとう」って言ってくれることはありうるのでは。売上のためにお客さんを使うということではなく、その目の前にいるお客さんに対して、なにかを、ファンタジーを届けることができたときに、おそらくこの「ぶんじ」っていうものが使われるための、入口になりうるのではないか。

使われる場所が限定的でも、関わりかたが変わってくるということ、1杯のコーヒーの出し方が変わってくるということ、これを1こ1こできたらいいなと思ってやってきた。円とぶんじが並行して使われること。「Give」・「Gift」から、始まる交換の原則に変えていくことが、回りまわって、世の中の経済とかビジネスのありようすらも変えていく、そういう可能性がぼくはあると思っている。


イマココ
<small><b>4つのフェーズ</b></small> 今日がフェーズ3(特定多数の中に広がる)の始まりになればよいと思う。こんなことをやりたい、これは喜んでくれる人がいるんじゃないだろうか、そんなファンタジーを持っている方が対価としてぶんじを受け入れてくれたら、ぶんじが使える機会が増えていく。その取り組みに対して、応援したり手伝ったりする方がいて、それに対してもぶんじが払われる。そういう循環が起こってくると、この地域通貨、ぶんじっていうものがより面白くなっていくと思う。

いきなり不特定多数というわけではないと思うので、今日、この場にお集まりいただいているような方、顔の見える関係の中で、今日の話の中で全てじゃないにしても、なんらかここはいいなと思えるような、共有できるような方たちのなかで広がっていくと、ぐっと面白くなっていくのではないかと思っています。イマココってことですね。

将来的にはフェーズ4、もし不特定多数の関係の中での取り組みにおいても使われるようになったならば、それは世の中の経済という意味が変わることであり、ビジネスということの意味が変わることであり、社会が変わるということですらある。すごく、大げさには、なんとなくそこまで思い描いていますが、まずは一対一の関係の中から、顔の見える関係の中から、こういう取り組みが広がって行ったらいいな、と思っています。


やってきたこと
とにもかくにも定例会を2週間に1度やってきた。
とにもかくにもぶんじを発行してみた。
とにもかくにも使ってみた。

あるひとは、一言添えて、手紙にいれたり、あるひとは貸したぶんじを、お題や宿題で返してもらったり、クルミドコーヒーでもボーナスで渡したり、いずれは給料をこれに置き換える、なんて野望も思い描いている(笑)。それこそ通貨って発想に縛られすぎずに、お互いの「ありがとう」ってことに使われるのであれば、なんでもいいんじゃないか。

これまでしてきて、通貨との相性のよしあしや、その分野をやる人の有無も多分に影響していると思うけど、このあと紹介するまちあるき、散歩を国分寺のひとつの目玉にしていこうよ、という取り組みは広がりを見せてきているし、農業も相性がいい。図書室とか、いくつか続くものが出てきている。

こうした取り組みをやってみて、感想や気づき、新しいアイデアとか、そういったエネルギーが集まってくる場をうまく作っていきたいなと、思っているのが、いま、この瞬間。

MLがあったり、FBをうまく使ったりする以外に、こういう拡大した会議をもつことや、場を作っていけると、一個一個の取り組みが積み重なって、かけ合わさって面白いことになっていくのではないか、と思っている。今日は抽象的なことも含めこれまでのことをお話させて頂きました。

20-30分でものすごい情報量。
後半のテンポはもはやラップ。MC Kageyama!

「say yea!」...「yes!」
「say yea!」...「yes!」
「say nice!」...「nice!」
「say fantasy!」...「fantasy!」


(コヲジ)

その2<small>(散歩隊・農業プロジェクト)</small>につづく