国分寺の地域通貨「ぶんじ」 ~ありがとうの気持ちを、通貨にのせて~




地域通貨、はじめませんか。
~「ありがとう」の気持ちを、通貨にのせて~

いつから私たちは、お金のために働くようになってしまったのでしょうか。
本当は「働く」には、「自分をいかす」や「相手をよろこばせる」など
それ自体においてもっと前向きなニュアンスが込められていたように思うのですが。

人が、人らしい行動原則として本来持っているはずの「贈る」気持ち。
何かを得ようとする前に、何かを与えようとするその心の情動が
また次の「与える」気持ちを呼び起こし、波及する。
まちにそんな循環が起こったらとても素敵だなと思います。

そして、その対価として地域通貨が流れる。
つまり、何か気持ちのこもったものを受け取ったときに生じる
「ありがとう」や「いいね!」の気持ち。
その表現手段として地域通貨があると考えたらどうでしょうか。

自分は何を贈ろうか。何を贈れるだろうか。
ひとりひとりが自分にできることを考え
前向きに、健全に、その気持ちや行動を競い合えたら
まちはきっと変わる。

誰かエライ人のかいた未来予想図ではなく
そうしたひとりひとり、ひとつひとつの気持ちのかけ合わせの先にこそ
実体のある、国分寺の未来が描かれてくるのではないでしょうか。

新しい挑戦。ご一緒にいかがですか。


(2012.08.08 影山知明)


はじめに

「通貨」の名前はついていますが、私たちが普段使っている通貨「円」とは、ずい分違うものです。
まったく違うものと言ってもいいかもしれません。
「円」が何かを手に入れるための手段であるとしたら、地域通貨「ぶんじ(仮)」は「ありがとう」を
表現するための手段。

相手を思う、気持ちのこもった丁寧な仕事に接したときや、
誰かの率先したまわりのための汗かきに出会ったとき、
「ありがとう」「いいね!」の気持ちを込めて ぶんじを渡す。

受け取られたぶんじは、また次の誰かの仕事に対する感謝の気持ちとして、巡る。

ぶんじが、まちの中を巡れば巡るほど、その反対側で誰かの気持ちのこもった仕事が生まれていることになります。
いや、気持ちのこもった仕事が生まれれば生まれるほど、ぶんじがまちを巡るようになると言った方がいいかもしれません。


ぶんじは何を目指しているの?

・「お金のため」ではない、「誰かのため」「まちのため」の仕事がまちにあふれていくこと。
・一人一人の多様な個性が発揮されていくこと。
・人と人のつながり力(ソーシャル・キャピタル)が高まっていくこと。
・私たちを取り巻く自然や環境が、豊かにあり、育っていくこと。
・今の世を形づくっている「大きなシステム/大きな循環」を補完し、
 ときに代替する「小さなシステム/小さな循環」がつくられていくこと。

何が「まちのため」なのかには、決まった答えがあるわけではありません。一人一人の中にある小さなファンタジー──「国分寺がこんなまちになったらいいな!」が、刺激され、引き出され、表現されていくことで、長い時間をかけ、国分寺がカラフルで豊かな場所へ育っていくと信じています。


「ぶんじ」の企画・運営はどうやって進めていくの?

現在、ぶんぶんウォーク2012をきっかけとした何人かのボランタリーワークによって、
ぶんじの企画・運営は支えられています。一緒に役割を担ってくださる方、どうぞお気軽にお声がけください!