国分寺の地域通貨「ぶんじ」 ~ありがとうの気持ちを、通貨にのせて~



ぶんぶんウォーク2012 スロータウン『地域通貨シンポジウム』

「地域通貨、はじめませんか。」
第一部「エンデの遺言」上映会
第二部「カフェからはじまる地域通貨」パネルトーク


河邑厚徳
『エンデの遺言』ディレクター
1948年生まれ。東京大学法学部卒業。映画監督、元NHKディレクター・プロデューサー。女子美術大学教授。現代史、芸術、科学、宗教などを切り口に数々のドキュメンタリーを制作。『がん宣告』『シルクロード』『アインシュタインロマン』『チベット死者の書』『エンデの遺言~根源からお金を問うこと~』など著書も多数。

吉岡淳
スロータウン総合監督
(有)カフェスロー代表取締役。30年間にわたるユネスコ運動を経て、2001年東京都府中市にスロー・ムーブメントの拠点となる「カフェスロー」をオープン。以後「スローカフェ」の普及と人材育成にとりくむ。大学やカルチャーセンターで講師をつとめる。

高浜洋平
水の学校・おたカフェ
1977年生まれ。大学で都市計画を学び、建設会社にて都市開発に携わる。休日には国分寺の地域づくりに取組み、東京経済大学国分寺市地域連携推進協議会研究員、お鷹の道おもてなし事業実行委員。2009年「史跡の駅おたカフェ」や「水の学校」立上げに携わる。

影山知明
進行役・クルミドコーヒー店主
1973年西国分寺生まれ。外資系コンサルティング会社勤務、ベンチャーキャピタ リストを経て、2008年、生家の地にこどもたちのためのカフェ「クルミドコー ヒー」 を開業。開かれたコミュニティづくりに取り組む。



地域通貨シンポジウム②
■トークセッション「カフェから始める地域通貨」


影山さん:
国分寺で、ちょうど今日から地域通貨の取り組みが始まります。
今回は、その取り組みに中心的に関わってくださっているみなさんにご登壇いただきたいと思います。

その前に、まずこの地域通貨について、少しだけご紹介させていただきたいと思います。帰り際に、国分寺駅前の受付でご連絡先等ご登録いただきますと、こういった紙幣を5枚お受取りいただけます。今回、この通貨単位を「ぶんじ」と呼んでおります。実はこの通貨単位についてもメンバー内でかなり議論をしまして、気取ったものを含めていろいろ出たんですが、結局ベタなところに落ち着きまして。ただこれも、よろしければみなさんからの公募などで決めていきたいなという気もするのですが。ひとまず今日は「ぶんじ」ということで。

1枚100ぶんじですので、5枚ですから500ぶんじお持ちいただけます。今回のぶんぶんウォーク期間中に、これから登壇するカフェでの飲食に使っていただくこともできますし、国分寺を巡る馬車に乗るときに使えたり、ワークショップに参加するときに使えたり、よりイベントを楽しんでいただくために使っていただきたいなと思っています。

さぁ、この地域通貨を企画してきた仲間であります。
まずカフェスローの吉岡さんから、『エンデの遺言』もしくは河邑さんのお話のご感想からお願いできますか。

吉岡さん:
みなさん、こんにちは。カフェスローの吉岡です。わたしも今日河邑さんにお会いできるのをとても楽しみにしておりました。カフェスローというお店がはじまったのが2001年。それはまさに「エンデの遺言」を観たことがすごく大きな刺激だったんですね。ですから、最初から地域通貨を取り入れることを前提としたカフェとしてやっていました。カフェスローで飲食するときは、多摩地域だけではなくどの地域通貨でも合計金額の20%使えるという取り組みを当初からやっています。

また、わたしたちもなまけもの倶楽部ということで「なまけ」という地域通貨を発行しています。これはエクアドルで再生紙で作られたもので、通貨そのものがフェアトレードの商品です。これを購入していただくことでエクアドルの森を守ることができます。そして、日本国内では、カフェスローでの飲食20%分として利用できる。こういう3つの役割があるわけです。

『エンデの遺言』にもありましたように、こういったことは「一体お金ってなんなの?」
というところから始まりました。印象深いことが3つあったんです。
まず1974年頃、ミクロネシアのヤップ島というところに行きました。そこでバカでかい石があったわけです。「これ何?」って聞いたら「お金」だと。でもわたしにはただの石ころにしか見えない。でも、お金。これは「え?お金って何なの?」と考えるきっかけになりました。

その後、エクアドルにカフェの準備に行きました。エクアドルでは、もともと彼ら自身ちゃんとした紙幣をもっていましたが、今はアメリカ政府の発行したドルが公式な紙幣として使われています。もともとの紙幣は今やお金としての価値はないんです。でも村にいっても、誰もドルなんて知らないわけです。そこでは何でやりとりしているかというと以前使われていた紙幣なんです。つまり地域通貨化しているわけですね。「え?これって何なの?」これが2つ目の疑問でした。つまり、お金って自分たちが思っているのと違うものがあるんじゃないか、と。

そして3つ目は、日本の話です。新潟県の粟島という小さな島。
人口350人くらいしかいない、平均年齢70歳くらいの島です。そこでもほとんど紙幣が流通していない。
そこの生業はほとんど漁師民宿なんです。じいちゃんは海で魚を取ってくる、ばあちゃんは畑で野菜を取ってくる。泊まった人はもちろんお金を払いますが。病院もないし、スーパーマーケットやコンビニもない。もちろんクリーニング屋さんもない。サービス業は一切ない。「みんなどうやって暮らしてるんだろう」と思いました。
そしたら、みんな「物々交換」だったんです。さらに日本で一番1戸単位の宅急便の数が多いのが粟島だって言うんです。感動した人がいろんなものを送ってくる。お返しに何かを出す。そういうやりとりがあるからです。それをみて、「あー、日本の将来ってもしかするとこういうところにヒントがあるのかもしれないな」と思いました。

そういうことに出会って、「どうやらわたしたちはお金の在り方をもう一度真剣に考えないといけないな」と思いました。問題は、人間はそれぞれいろいろな能力を持っていて、その能力を出し合うことによって社会を豊かにすることができるのに、たった1枚の円という「券」によって全ての価値が決められ、そして人間の価値まで決められてしまうというところにあるのではないか、そういう在り方をやめようと思いました。

そういうことで、ぼくたちカフェスローはいろいろな使い方を考えました。
まず、国分寺界隈にたくさんの大学があるんですけれども、大学生がカフェスローでアルバイトする場合、お給料にも色々なやり方があります。たとえば「円でほしいですか?それとも地域通貨ですか?」と聞く。すると中には「100%地域通貨でほしい」という人もいるんです。それも何年かに渡って。「それを使えるのは、カフェスローでの20%と、珈琲が100%買えるのと。そんなことなんだけどいいの?」と聞くと、「いや、いいんです。それで充分なんです。」と言ったりして。

もう一つは、時間ですよね。
カフェスローはオープン当初朝の10時半から夜の10時半までで、年中無休でした。
それでくったくたになって疲れ果てて。それで段々短くして、週休1日にしました。そして、ある日ふとひらめいて「週休2日にしよう」と言ったんですね。週に2日休むと当然売上がドーンと落ちる、それは覚悟していたんです。でも蓋を開けてみたら、なんと売上が伸びたんです。非常に不思議でした。なんでかなと考えてみると、スタッフのバイオリズムが変わって元気になって、それが働きに帰ってきたんじゃないかと。つまり労働時間を短くすることですごく逆に効果があったわけです。

それから震災後、ウィークディは夜の営業をしていません。営業時間を短くすることで、その分もっと自由な形でいろんなことを創造的にやっています。僕自身、前の仕事から比べると収入は3分の1に落ちました。でもどっちかというと、今の方がしあわせです。これからも、もっと小さな経済圏の中で時間と信頼というものをつなぎあえる、そういうカフェを目指していきたいと思います。

影山さん:
ありがとうございます。
給与100%地域通貨でもという方がいらっしゃったと。うちのスタッフにも提案してみようかな。
つづきまして、ブランジェリーキィニョンの井村さん、お願いできますか。

井村さん:
わたしがこのプロジェクトに関わるようになったきっかけですが、もともと小売り業をやっていまして、地域のお客様・地域社会に活かされているということをテーマに掲げていました。地域社会に貢献しないと会社の存続もないということで、それを会社の方針にも掲げていたんですけれども。じゃあ何をやるんだといって悶々としていたときに、去年からぶんぶんうぉーくに関わり、さらにこういった取り組みがあり、「これだ」と思いました。

うちの店では、最初はクーポン券的な扱いで使えるなと思っていました。でも、どちらかというと接客のツールというんでしょうか。パン屋でお客様に商品を買っていただくとレジでそのまま精算して終わりみたいになる。でも地域通貨があるとそこから会話が生まれやすいというか、お客様とのつながりが生まれやすいというか。そういうことをスタッフ含めはじめていきたいなと思っております。

影山さん:
ありがとうございます。
続きまして、駆けつけてくださいましたおたかふぇの高浜さん、よろしくお願いいたします。

高浜さん:
お鷹の道でおたかふぇをやっております、高浜と申します。
わたし自身の経歴から言いますと、実は平日はサラリーマンとして建設会社でまちづくりの仕事をしております。休日土日は地元を作っていこうという想いから、5年前から国分寺に関わりはじめまして、おたかふぇができたのは3年前、2009年10月にできました。
最初の頃から思っていたのは、おたかふぇは全国の湧水100選という非常にめずらしい名水が沸く湧水のある場所ですので、その場所でおたかふぇができることになったということは、自分には何か使命があるのかなと。

そして、おたかふぇが誕生したすぐ1か月後に、「水の学校」を立ち上げました。非常に水や自然が大事な場所でもありますので、そういう情報をみなさんにぜひ知ってもらいたいという想いから、水にまつわるいろいろな専門家の方を月に1回招聘しました。例えばお坊さんを呼んで水について語ってもらうとか、小説家の椎名誠さんを呼んで水について語ってもらうとか、いろんな人に水について語ってもらうというのを、今まで1期・2期とやってきて、このぶんぶんうぉーくの3日目から、水の学校第3期というのが始まります。
それをやって、水を議論すればするほど、お金とは別に地球の中をいろいろなものがめぐっているんだなということをわたし自身痛切に思いました。野菜にしても人の住居にしても、いろいろなものが巡り巡って水に返還されてくるんだなという想いです。

例えば、石田先生という川・池・水を守ってきた方がいらっしゃるのですが、「ひとつのタンポポを守ることを考えてください」と言うわけです。「タンポポを守るために、あなたはこのタンポポだけを守りますか?そうじゃないでしょ。タンポポを守るためには、タンポポが生えている土も守らないといけないし、空気をきれいにしてあげないといけないし、太陽光が入ってくるようにしないといけないし。それをとりまく全部の世界をよくしないといけない。」と。
水を守るためには、水質が上がった下がったというところだけを見るのではなくて、水のまわりの緑や生物も含めてその水を守っていくんだ、ということが、水の学校を通してわかりました。

ちょっと回りくどくなってしまったんですが、水は自然や動物などに返還されるものだという認識があったので、もしかすると地域通貨はそういう発想と近いのかなと思って、ずっと地域通貨というキーワードは頭の中にありました。ぶんぶんうぉーくで、なんだか知らないけど「地域通貨」という言葉が急浮上しまして。去年はなかなか実現できなかったんですが、2年目で今年少し地域通貨が具体化するということになったわけです。

わたし自身、おたかふぇで地元の野菜を使うことで、地元の農家さんとのやりとりが非常に多いのですが、カフェで使うほかにも、農家さんで作りすぎてしまったトマトや傷のついた野菜を預って、それをジャムやピクルスにして農家さんにお返しするということもやっています。そこでも野菜が循環していくということがあって。
たぶん地域通貨をつくることで、地域の中でいろいろな小さな循環システムをつくっていくということが、もしかすると国分寺の未来を作って行くということなのかなと思いながら、野菜・人の想い・ボランティアの心・経済など、いろいろなキーワードを地域の中でぐるぐる回していくという意識で活動している、というのがわたしの日々です。

影山さん:
水ということについて少し触れると、『天のしずく』の中でも水はひとつキーワードでした。「命の始まりに母乳があり、終わりに唇を湿らす末期の水がある。人の命は絶えることのない水の流れに寄り添って健やかに流れる」ということが書かれていますよね。人の命もまさに水とともにあるわけで。それも今回のテーマの一つですよね。
河邑さん、今3人のお話を聞いていただいて、どんな感想をお持ちでしょうか。

河邑さん:
すごくいい話ですね。地域通貨はきちんと定義されたものではないので、それをどういう風に考えるのか、むしろそれを考えたり使ったり、それを活かしながら自分たちで住みやすいような地域や社会を作ろうという、そっちの方がむしろ大事で。
今、社会全体で言うと「ちょっとどうなんだろう」という感じですが、こういうエネルギーがない限りは日本の未来は本当に暗いなと思うんです。光明に向かう小さな半歩・一歩というのは、きっとこういうところから始まるんだろうなと思いながら、話を聞きました。

影山さん:
まさに今日ここに至るまでの過程ということが、すごく印象深く、少しお話させていただきたいと思います。
最初に「地域通貨、さあどうしようか」ということで集まって話を始めたんですね。ただ「そもそも地域通貨ってなに?地域振興券のこと?クーポン券や割引券とどうちがうの?」という話もあって。でも少なくとも地域を盛り上げるためにあるとか、じゃあ地域を盛り上げるってどういうことかというやりとりがあり、もう少し具体的に定めた方がいいという話になったんです。そこで、さっきの「水」とか「自然環境を育てていこう」とか、「子育て環境という視点が大事なんじゃないか」とか、「いや、馬車だ」とか、なんのために地域通貨をやるのかということについて、散々最初の2~3回くらいそういう話をしていたように思うんです。その過程も、お互いを理解していくという意味でとても大事でおもしろかったんですけども、突き詰めて話していったときに最後にたどりついたのが、実はぶんぶんうぉーくそのものだったんです。というのは、こんな風になったらいいなという絵姿はそれぞれ違うと思うんですね、例えばここにいる4人を考えても。だけど一緒になって地域通貨のことを考えている、あるいはぶんぶんうぉーくのことを考えている。これって何なんだろう、と。

おそらく一つはっきりしていると思ったのは、少なくとも我々4人はお金のために働いていない、ということですよね。ここに原点というか本質のようなものがあるような気がして。仕事とか働くということを見直していったときに、気がつくと、本人が望んでいなかったにしても、気がつくとお金のために働いているということが片側にある。でもそうではなくて、自分の中の自分を活かしていくために、自分の目の前にいる人を喜ばせてあげるために、まちのために…そういうとで汗をかく局面が、少なからず誰の中にもあると思うんです。こういう、誰かから何かを奪う「take」のための仕事ではなくて、何かを送る「gift」から始まって行くような仕事、こういうものを僕らは国分寺の中に増やしていきたいんじゃないかと。いろいろな領域がありますが、ぼくらに共通しているひとつのテーマなんじゃないかということが、ひとつ見えてきました。

したがって今回の「ぶんじ」というのも、「ありがとうを表現するための手段」と言っています。だれかの気持ちのこもった丁寧な仕事だったり、率先してのまちのための汗かきだったり、そういうことに出会った時に、ありがとうと言葉をかけるのと同じように「ぶんじ」を渡すことが起こることは、そういった新しいタイプの仕事が国分寺の中に増えていくことであり、結果それがまちをよくしていくことにもつながって行くんじゃないかという風に思ったわけなんです。

このあたりのやりとりの経緯について、実際に参加されていて、どんな風にご覧になっていましたか?

井村さん:
ひとつは、この議論のやりとりがおもしろかったです。最初は、さっき言ったように会社として何ができるかという視点でお話もしていたものですから、地域通貨の知識がもともとなかったこともあり、どうしてもクーポン券と切り離して考えることができなくてですね、そこでずっと「これはなんなんだろう」という疑問がずっと起こって。ただ時間としての締め切りもあり始めるしかないということになったときに、まずぶんぶんうぉーくの2回目をやりだした人が集まっているので、実行力というか、たのしいし、このメンバーならできるんじゃないかと思ってがんばってみた、というのが正直なところです。

影山さん:
高浜さんは、お忙しい中で毎回定例会に参加するのは難しいということでしたが、毎回会議の様子を録音して聞いていただいたりしていました。後日送られてくるメールが非常にするどくて常に貴重なご意見をいただいていたと思うんですけども。

高浜さん:
地域通貨の部会は、ぶんぶんうぉーくの半年前くらいからはじまりました。わたし自身は現実主義的なので、「地域通貨はいくらなの?」とか「何パーセント引きなの?」とか「クーポン券なの?」とか、そういうこととの違いの整理がよくついていないまま参加していました。

ぶんぶんうぉーくが近づいてくる中で、「じゃあこの地域通貨どうするの?」ということになったとき、わたしのような現実主義者だと「一体どこで使えるの?」「どう使うの?」ということを決めようという気持ちがあるんですけど、影山さんは「まずちゃんと想いをふくらませておかないと運用しているうちに死んでしまう」という想いが強くて、非常にギリギリまで「想い」についての議論をしました。それが非常によかったと思っています。

出席できない回が何回かあったんですが、かなりメーリングリストでやりとりされていたので、いろいろな想いがあることもよくわかりました。地域通貨自体は目的ではなくて手段ですので、いろんな人が自分なりに自分の目的を達成できるものであればいいのかなと思います。最大公約数の概念でいくと、みんなの想いが小さくなってしまうんですけれども、最小公倍数のようにみんなが膨らみを持たせながら想っていくことでどんどんまちは広がるし、そうじゃないと逆にうまく循環しないんじゃないかなと思います。同じ立場の人が同じ想いばかり持っていると多分このまちは違って、いろんな違う立場の人たちがなんか知らないけど自分のいいように運用できてしまうということがポイントかなと思っていますので。

もうひとつのポイントはやはり、あまり具体を決めなかったことでしょうか。例えば名前もけっこう議論したんですけども、あえて「(仮)」にしておいたというか。地域通貨はみんなで育てていくものじゃないかなと思ったのも今回で、あまり決め込まずにいろんな反応とか実験を繰り返しながらチューニングしていく、これもひとつの楽しみだし、みんな地域通貨を愛してくれるということでもあるのかなと思いますので、今回のぶんぶんう
ぉーくでの「お試し」というのも非常に楽しみだなと思っております。
おたかふぇのなかで地域通貨の議論を出すだけでも、スタッフ10人で散々いろんな議論が起こりますので、非常にいいきっかけだなと思っています。

影山さん:
まさにこういうコミュニケーションひとつひとつの在り方や価値の交換、関係を作るということを根っこから考えさせられるテーマでもあるなと思います。

今の高浜さんの話の中にもあったんですけども、国分寺をこれからどういうまちにしていくかというときに、20○○年ビジョンとか、そういうものは大体うたがってかかったほうがよくて。そういうふうにすっと定めてしまうということは、それに向けての過程が全て手段になってしまうということになっちゃうと思うんですよね。そういうことは人を手段にすらしてしまうとも思っていて。それよりも、1人ひとりが勝手にファンタジーを炸裂さ
せていくというか。それぞれの領域で「自分はこんな風になったらいいんじゃないかなと思う」ということがあるわけですよね。客観的な正しさなんてどこにもないわけだから、それぞれのファンタジーがかけ合わさって行く中にこそ、未来というものができあがっていくと考えると、目的地というものは決めてしまわない方がいい・定義しない方がいいと思うんです。
実はこのぶんぶんうぉーくという場自体が、そういう場になっているという印象があるんですけれども。実行委員長でもある吉岡さんからご覧になって、この間の経緯いかがでしょうか。

吉岡さん:
ぼくはこのぶんぶんうぉーくをやるときから、地域通貨をぜひやりたいと話していたんですけれども、実はもっと大それたことを考えているんです。

今は国分寺に住んでいるんですけれども、それまでは府中に住んでいました。府中と国分寺というのはよく比較されます。府中はめちゃくちゃお金持ちで、道路は広くて建物もいっぱい建って、しかし町の中にはフランチャイズのお店ばかり。それに比べて国分寺は財政規模も非常に小さいけど、非常にユニークな店がいろいろある。国分寺こそ、お金がなくても知恵を出せば!と。
それで、何を考えたかというと、国分寺は再来年市制50周年なんですけども、その時に国分寺市が地域通貨を発行する、と。そして市民はそれを使うということを実現したいなと。今仕掛けているんですよ、裏で一生懸命。これができたら日本が変わるきっかけになるんじゃないかと思うんです。もちろん財務省から目をつけられるんでしょうけど。とにかくストップがかかる前にそれを乗り越えたいなと思うんですね。
それのための実験として、今回これを始めたし、うまくつないでいけたらいいなと思っています。どうですかね。

影山さん:
すごいですね、国分寺市がね。
この間、担当職員の方とも少しお話もして…かなりきょとんとされていましたけども。

吉岡さん:
予算化してもいいって言ってるんですよ。

影山さん:
あ、そうなんですか。

吉岡さん:
100万円なのかどのくらいなのかわからないけど、地域通貨を発行するお金をつけてもいい、と。
まあ議会は反対するかもしれないからNOかもしれないけど、ぜひそれを1回ね。

影山さん:
やったほうがいいと思うんですよ。やることで、間違いなく市の財政状況はよくなると思うんです。ひとつ、町の中のつながり力が高まっていくということは、福祉的なことにしても、一部医療的なことにしても、助け合いでなんとかなることが増えてくるということですよね、そうすると財政支出は減る。かつ、なんとかチェーンに行くのではなくて都心で買い物をするのではなくて、地域の中で循環することで経済活性の効果が出てくるということになれば、支出が減って収入が入るわけですから。

吉岡さん:
もうひとつ。
ぼくは最近国分寺の市役所に行くと「馬車のおじさん」と言われているんですね、「馬車おじさん」。
今コミュニティバスに8,000万円くらい市の財政として使われているんです。「ぶん馬車」がもし定期運行されるとどういうことになるか。これ(支出)がかなり減るんです。
つまり無駄なお金を使わない努力のひとつとして、えらい貢献をするわけですよね。
そういうありとあらゆるおもしろいことを考えて、国分寺でいろんな実験をしていくのがいいんじゃないか、と思うんです。そうすると楽しい。みんなそれぞれ楽しめばいいんだと思うんですよね。失敗したら失敗したでそれもいいじゃないかと。また次を考えればいいじゃないと。ぼくはそういう考え方なんですね。とにかく国分寺をおもしろいまちにしたい、その一つが地域通貨であり馬車である、というね。

影山さん:
こういう方が国分寺には結構いるんですよね。「水だ!」とか「馬車だ!」とか、そうかと思えば「蓄音機だ!」とか。そういうことを引き受ける側の大変さをわかっていただきたいと思いますけどね。

さて、テーマの一つとして、「地域」ということも考えてみたいと思うんですけども。
今世の中には「なんでこんなことになっているの」という矛盾点もたくさんあり、国を変えなきゃと思う一方で、もう地域から勝手に代替案を作っていくほうが早いんじゃないかということも、道すがら吉岡さんと話していたんですけれども。
この「地域」という単位で物事を考えていくことについて、どんな風にお考えになりますか?

河邑さん:
地域ということを考えると、自然ですよね。風水もあるけれど、風土というか。川があって、泉があって、昔からの神社があって。

ちょっと話は変わるけど、みなさん話のレベルが高くて。とても大事なことを話されていますよね。ミヒャエル・エンデは地域通貨を振興しようという人ではないけれども、経済について問題提起をしたわけだから、エンデがにっこり笑ってるなという気がしました。
思い切った発想というのは、みんなおもしろくなるしワクワクするし。暮らしている場所と時間の中で輝いて元気に生きるということにつながると思うんです。そういう意味で、地域通貨はうまく使えるなと。

今は大型量販店とかが、みんなポイントカードを発行しているでしょ。やっていることは、スタンプいくつで100円値引きします、と。つまりお金を発行しているわけです。通貨じゃないけど、サービス券とかマイレージとか。企業側でも気がついているわけです、お客の囲い込みと自分のビジネスをやるためにやっている。でも、例えば府中の大きなお店で買い物をしても、大きなところにしかお金が流れていかない。地域には戻ってこない。国分寺でやるとしたら…。そういう大きなお店じゃないところで地域通貨を使えることにするってことは、それに対抗する知恵ということにも、もしかしたらなるんじゃないかなと思いました。

影山さん:
最後に一言ずついただきたいと思います。地域通貨も含めて、場合によってはぶんぶんうぉーく含め、国分寺のこれからということも含め、どんな想いでいらっしゃるかということについてお願いします。

井村さん:
これから国分寺のまちが、吉岡さんがおっしゃっていた「おもしろいまち」・活力あるまちになるためには、こういう都心のベットタウンみたいなまちですから、いかに都心で働いているサラリーマンの目をこういう活動や地域のことに向けさせるか、ということが鍵じゃないかと思っているんです。イベントを運営するにしても、いわば高浜さんのようなバリバリのサラリーマンたちのスキルや経験がとても活きていて、それなしではこのイベントはとても成り立たないんですね。いかに「高浜さん」が何人も現れるかということが鍵じゃないかなと思うんですね。わたしも16年くらい都内の百貨店でサラリーマンをしていたんですけど、自分の地元のことについては全く関心もなくてですね、休みになると都心に遊びに行って、仕事もそう、という感じだったんです。そういう人たちが地域で何かをするということは非常に敷居が高い。何をやったらいいのかわからないというときに、こういうイベントや地域通貨が、入りこみやすくなるツールになったらいいなという風に思っています。そのためにも、この地域通貨が色々な人のところをまわるために、われわれの店でも使えますけど、よりお客さんがよろこぶような商品やサービスで使えるような状況を整えないといけないし、逆に通貨を受け取るためには、人を助けるための活動を膨らませていけるような状況を整備して関わりやすい形に整えていくことがこれから必要だと思います。いわばソフトをしっかり整備して、通貨を使う人の便宜を図っていかないと、なかなか難しいのかなという風に思っています。

高浜さん:
今年は水の学校3をやります。この水の学校は3回目で完結と思っています。水の学校の生徒さんは現在40人くらいいらっしゃいます。今、水の学校の生徒さんで、水守団(ミズモリダン)というチームを作っていますが、昔のおじいちゃんの話を聞いてそれを記録にして書きとめていこうじゃないかという活動が少しずつ始まりました。ちょうどぶんぶんうぉーくの3日目に、70年前田園風景だった国分寺の場所をテーマにしたことを、ここでやらせていただきますが、昔のおじいちゃんの話を語り継いでいくというのもまた非常に重要なことなのかなと思っています。野菜もそうですし、おじいちゃんの話もそうですが、人から人へ情報が渡されたり、「知の循環」つまり知っていることや経験したことを渡していくことに合わせて、地域通貨が身体の血液のようなに地域を巡って行くといいのかなと思っています。
わたしも5年前に活動を始めるまでは、本当に都心にサラリーマンとして行って帰ってくるだけだったんですが、ちょっとずつ地域に足を踏み込み始めてここまで来ちゃいました。地域通貨というものがあると、世界も広がるし、互いの結束力も強まるのかなと思います。今後は水の学校と水守団、水守団の活動の中に地域通貨を盛り込ませていきたいなと考えているところです。

吉岡さん:
僕は生まれも育ちも京都なんですけど、京都に戻るつもりはぜんぜんなくて、今どこで最期を迎えるかというのがテーマなんです。どこで死ぬか。その時に、国分寺のまちを終の棲家になるようなまちにしたいというのが、僕の希望・夢なんです。ぼくはずっと持ち家をもっていない、ずっと借家住まいしているのはそういう意味で。
大事なことは、国分寺の「ないもの探し」をしないで国分寺の「あるもの」をちゃんと探す。そして今回のぶんぶんうぉーくにもたくさんの方が実行委員として関わっていますが、みなさん夢を持っているんです。その夢をつなぎながら実現していくような、みんなにとっての終の棲家になるようなまちにしていきたいなと思っているんです。

影山さん:
特にこれからの地域通貨の展開については、2段階考えたいなと思っています。フェーズ1は、個々の交換の在り方自体を再定義していく時期。そして第2段階がは、それが地域に大きく広がって流通し始めるという段階。今地域通貨をお持ちいただいても、残念ながらそれを使っていただける場所というのは、まだまだ限られているんですね。それはそれでいいんじゃないかとぼくたちは話していて。まずいろいろなところで使えることを目指す前に、一個一個の交換の在り方をもう少し考え直してみてもいいんじゃないかと思うわけです。「価値の交換」という表現はとてもニュートラルですが、より端的に言ってしまえば、今のお金というのは何かを手に入れるための道具になっている、と思うんですよね。
giveアンドtakeで言えば、takeに存在意義がある。ですから、今回の地域通貨については何かを手にいれるための道具というよりも、何かを受け取るための道具として使ってもらえないかと思うわけです。「ありがとう」という気持ちの表現手段と申し上げているのはそういう意味です。

ただここで当然の疑問が沸いてくるわけで、ありがとうと言うためにはありがとうと言いたくなるような仕事が必要なわけですよね。そういう仕事と出会って初めて「ありがとう」と言いたくなるわけですから。そういう仕事でもないのに「ありがとう」と言えというのは、ありがとうの無理強いになってしまうわけです。
これは地域通貨のある意味本質だと思うんですが、地域通貨が巡るから世の中がよくなるということはきっとなくて、まちの中にいい仕事が増えてくるから結果として地域通貨が巡る、という順番だと思うんです。ですから、一つひとつの仕事の在り方や人への届け方みたいなものを丁寧に見直していくということがあってはじめて、この地域通貨が使われるようになる、ということを第1段階に挙げ、それが少しずつ共通言語になるとそれが横にも広がってというような第2段階が見えてくるかなという想いで今いるわけです。

■質疑応答
Q1.
「ありがとう」を受け取るためには、結局いい仕事がないとダメだと思うんですが、どういう風にそういう仕事を創出していくべきか、その仕事の周知もからめて今の段階での構想もしくは希望など、考えていることがあればお聞かせいただければと思います。

影山さん:
まさに今日の大事なテーマだと思います。
2つ考えていまして。日常的な場面と非日常的な場面ということで申しますと、先ほどのイサカアワーでは「自分はこんなことができます」ということを書いて入会するんですね。そうするとそれが新聞みたいなものにダーッと出る。
まちの中にいる人たちが「こんなことやりますよ」「自転車修理だったらやりますよ」
「ちょっとくらい買い物代行やりますよ」「看板つくりますよ」とか。いろいろな技を持っている人がいるときに、そういうときに手を挙げられる仕組みと、合わせて「何百ぶんじで請け負います」ということを発表してもらって、じゃあそれお願いしますというやりとりが始まっていくような、メディア・媒体を考えていこうと「日常」の部分では話しています。
もう一方、「非日常」についてですが、今日のぶんぶんうぉーくのようなイベントやお祭りでは、よりそういうことが発生しやすい。いろんな人の力を合わせて進めていくということになりますから、そういう場面でこそ「こういうことできる人いませんか?」と募ることができたり、「こういうことができるので、ぜひやらせてください」と手を挙げることができる場面があると思います。ぶんぶんうぉーくを含めたまちの中のイベントを大事に育てていくということが大事じゃないかなという風に思っています。

Q2
地域通貨のことは、一度ブームのときにとてもワクワクして、いくつかの地域通貨のチャレンジに参加しました。でもその地域通貨は実現せずに引出しの中に何枚か残っているんですね。これってどうして広がらないんだろうと常々思っているときにちょうどこの地域通貨のお話があるということで、今日伺いました。
あぁ、もしかしたら可能性があるかもしれないと、初めて具体的な感想がでたんです。わたしも今日の登壇者の井村さんも、小金井ではいくつか活動をしています。ぜひシガカイ(?)をまとめて、地域通貨もシガカイ(?)の中でも動くことにすればきっと広がるんじゃないかなと思いました。国分寺だけというのではなく、おそらく水をテーマにするとつながってくる可能性があると思うんです。わたしたちは「グリーンネックレス」といって目に見える緑をつないでいこうという活動をしていますが、実はもとを辿ると水だったという…。高浜さんぜひ頑張りましょう。

影山さん:
もちろん国分寺市にとじる必要はなく、だから通貨単位が「ぶんじ」でいいのかということが話題にはなっていました。ただ、まず国分寺市で始めて、それから小金井だったり府中だったり立川だったりと、一緒にやれたらいいなとは思います。

また前半の「地域通貨がうまくいかない」という件ですが、野口さんご覧になってきて、
どうしてだったと思いますか?

野口さん:
影山さんがおっしゃっていたように「ありがとうと言える職業」のひろがりが関係あるのかもしれません。それから、例えば選挙のためとか、ネットワークのためとか、目的がはっきりしすぎたために、うまくいかなかったのではとも感じました。でも今日話を聞いて、ネットワークのためじゃなくて個々の交換のためという、一番最初に戻る可能性があるということで。

影山さん:
それだけに、これを持って行くと100円割引ですよということと比べるとわかりにくいのかもしれませんが、時間をかけてそのあたりも考えていきたいと思います。

■最後に
影山さん:
最後に河邑さんから、お願いします。

河邑さん:
一言で言うと、お金が担っている仕事は、競争を促しているように思います。企業のポイントカードだってマイレージだって、競争です。本来、人のやっていることには、競争ではないこともすごくたくさんあるのに、教育や福祉やボランティアまで市場経済の中に巻き込んでいっている。でも、地域通貨が考えていることは競争ではない。手をつないで自分たちが住みやすい・自分たちが理想とする社会に向けていろんなことをデザインできたら…。1つの通貨だけでやろうとすると、本来競争の概念がないところまで競争させてしまう、そのことの弊害がすごく大きいと思います。最初申し上げたように、基準が唯一だということはとてもナイーブだし不幸だと思うので。

総論的で申し訳ないんですけども、そう思いました。ここでのこういう取り組みはとても興味があるし、これからもフォローしたいし、できることはやりたいなと思いました。

影山さん:
ありがとうございます。
非常に心強い言葉をいただきまして。逃がしませんので。